0414 日誌  縦のつながり T君やKシスターズ




店というより部室なので、情報交換も含め、宮古に関する動きがどうあったかなど、毎日少しずつ書こうと思います。


毎朝、思い出して書くことは、ボケ防止にもなるような気がしています。

昨夜は、昼間に「島を旅立つ君たちへ 2016」を読んで、そのプロジェクトを続けましょうよ!宮国さん!と励ましてくれたT君と昼間に打ち合わせ。

いろんな人が間に入って、スポンサーに紹介してくれています。昨日はその第一弾。

どんなやり方がいいか、誰もまだわからない。でも、やり続けようという暗黙の了解がある。その手応えはくれるT君のまっすぐな気持ちが言葉にしなくても伝わってくる。あららがまは、実は静かなものだと思う。


東京に住む宮古の若者たちが、東京にいても宮古のために何かできることはないか、と考えている。その数は意外と多いと感じています。

みんな、言葉にはっきりとは出さないが、自分を育んでくれた故郷への感謝の気持ちなのだと思う。
故郷を許せず、もしくは窮屈だと感じたり、自立心のあらわれとして、外には出たけれど、心にも体にも故郷や家族が刻まれているんだと思う。

それは郷愁という一言では片付けられない。宮古と東京はあまりにも違いすぎて、2つの世界を生きているのかとすら思うからだろう。

手伝ってくれるみんな、誰もが余裕があるわけではないと思うのだけど、その生活の中でも少しでも宮古と関わっていきたいと思っている。時間や手間をかけてくれる。そう思ってくれる人たちが、具体的に動いてくれることが「島を旅立つ君たちへ」を作った意味があることだと思う。

それは、今まで主体的に関わって来てくれた人たちがいるからだと思う。今も、できる人が、できる範囲で、という気持ちは変わらない。

人によっては、このやり方は、あまりにも合理的ではないし、仕事ではないという人がいるかもしれない。でも、ただの仕事ではなく、志事として、仲間と取り組んでいくという純粋な形で出来たもののほうが次につながると思う。

最初から経済活動のみで動くなら、誰もこういうことに参加はしないと思う。

そして、昨夜は、大学を卒業したばかりで、旧平良市出身のKシスターズも来てくれた。T君と合わせることができた。

T君は30代前半、Kシスターズは20代前半。東京で宮古の10歳位も違う宮古人に会うのは難しい。こうした縦のつながりが少しずつできることが、将来、物心両面で、大きな財産になるということを、私自身が一番感じている。

和気あいあいとした、まるで宮古のような空気が流れる。


そこにいつものY君ご夫妻(奥さんは台湾出身)や今やブラジル宮古仲間のAさん、宮古研究会のK先生、家族ぐるみのおつきあいのみんなが時間をずらしながら、現れる。

話されたのは、仲宗根豊見親と目黒盛の話。そこから下地玄信の話まで出る。
三つ揃いを着て、日焼けしたT君は、下地玄信にそっくりだなぁとひとしきり話になる。

いつも思うのだけど、書くことで情報としてわかることもたくさんあるけど、やりとりをしながら、宮古の歴史をみんなで学んでいくやり方のほうがより深い学びになっているような気がする。

それは、宮古の文化の中心でもある歌でも同じ。

私は、宮古の歌というのは、実はおどろおどろしくて怖いとずっと思っていたのだけど、誰が歌うかという点においては、與那城美和さんやミカラマナタのあやさんという切り口で、どんどん好きになっていった。

宮古の人だけじゃない場で、宮古の歴史や文化を語ることに、どんな意味があるのか、私も正直わからないです。でも、確実に相互理解は進むような気がする。

私も東京のことは知らない。日本史なんて超苦手だ。
でも、いつも少しずつ話を聞いているうちに、耳学問かもしれないけど、わかるようになってきた。

そして、大方の人が帰って、少人数になった深い時間に「文化を作る」という言葉への違和感、という話になった。

その言葉を使うとき、組織的な人工的な感じがする。特段、悪いという意味ではないのですが。

私にとって、文化は、知らず知らずのうちに、当たり前のものとして体に馴染むような無意識のもののだから、「作る」という言葉は適当ではないのかな、と。文化は、ただそこに存在するものなのかもしれない。

わたしたちは、作るという能動的なものではなく、受動的に文化に埋もれている、と言ったほうが正しいかもしれない。

私は、その意味で、宮古の文化という言葉をいつも使っている。先人たちは何を伝えようとしたのか、と。生き様はかすかに今も残るから。

歴史を語るとき、何百年も前に亡くなった人たちの話を、わたしたちはまるで当たり前のように話している。それが歪んだ形にせよ、確かでないにせよ。

わたしたちは弔いのように語っている。

そのことが何か自分を落ち着かせ、あちらの世界とつながっていて、正体のない取り越し苦労的な死への不安が減るんではないのかな。おばぁたちが毎朝拝む「とぉーとぅ」と似ているのかもしれない。






Tandy ga tandhi

東京でも島のサイズで、集える場所があるといい。 ひとが「そのまんま」でいれるところ。

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